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2008年11月の5件の投稿

折り返し地点にきてしまったのか・・・


[大腸ガン] ブログ村キーワード

11/26、抗癌剤治療16回目。

前回より点滴を三週間も空けたのに白血球は上がらず3300。(また精神的負担になるような事が起こってしまいそのストレスだと思う・・・)

CA19-9が52.4、CEAが30.8と停滞。

先生も腫瘍マーカーが下がらなくなってきてることが気になってるらしく、母には「オキサリを抜いた点滴をしてる分、効き目が弱い」と説明してくれた。

次回二週間後、退院してからは初めてのPET検査をする。

その翌週、検査結果とこれからの治療方針を決めるとのこと。

抗癌剤の効き方と副作用の出方は必ずしも正比例するわけじゃないと思うけど、やっぱり最近の点滴後の母は以前と比べて体が楽みたい。

痩せてる母にとって、食べることが大好きな母にとって食欲がなくならないことが唯一の救い。

この先、どうかその楽しみを奪うようなことだけは起こりませんように・・・

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父のこと

父は25年前、悪性脳腫瘍で亡くなりました。

47歳でした。

私の誕生日2日前の朝、突然の頭痛で七転八倒し病院に運ばれそのまま入院。

腫瘍が奥深くにあったらしく、入院から亡くなるまでの半年間で三度の手術をしたものの手立てがなく一時退院した頃には廃人のようになっていました。

当時、母は42歳、私は中学生、妹は小学生でした。

私は物心付いたときから父からの愛というのを感じた事がありませんでした。

かといって虐待されるとかいうわけではありません。「無関心」です。

しかし外面だけがいい父だったので、よく近所の人から「優しいお父さんでいいねぇ」と言われてました。
小さい頃、その言葉を聞くたびに不思議でしょうがなかった。

一番強烈に覚えてるのが、珍しく家族で外食に出掛け店に入る直前に私が「あ~お腹すいたね~」と言うと、父は「みっともない!」と烈火のごとく怒り出しました。
ご飯食べにきてるのに何がみっともないのか?????と思ったこと。

母から聞いた私が赤ちゃんの頃の話。
どうしても母は出掛ける用事があって、父に時間がきたらオムツを変えておくように頼んだらしい。
帰ってみると、私はオムツがドロドロの状態で火がついたように泣いていた。
どうして変えないのかと聞くと、「汚いから」だと。
あぁやっぱり愛されてなかったんだと納得した。

マザコンを通り越し、祖母の奴隷のようだった父。
私が男じゃなかったという理由だけで、母を疫病神と言い私を差別し続けた祖母や小姑達。
それを知りながら見て見ぬ振りし続けた父。

あなたはどうして母と結婚したんですか?
何のために家族を作ったんですか?
世間体ですか?

私も歳を重ねるごとに、父も祖母の犠牲者なのかもしれないと思うことがある。

でもあの時、最初で最後あなたに殴られたときの痛みに、やっぱり愛情の欠片も見出せません。

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カゼをひかなくなった代わりに・・・

去年末から妹の流産、ワタクシ初めてのギックリ腰、母のガン発覚と、振り返ると立て続けに悪いことしかなかった一年。

でもその間、ウチのダンナも老猫も寝込むことなく元気でいてくれた。

これは本当にありがたいことだった。

元々、気管支系が弱い私はカゼをひきやすく、カゼをひくと必ず出るようになった喘息。

一年に一度は大熱を出しゼェゼェいいながら寝込んでたのが、今年は一度もなし。

母が入院してた一番寒い時期、病室のある5階まで毎日階段で何往復もしてたのが私にとって体力作りになってたのかもしれない。
(気が張ってたというのもあるかも)

しかし歳をとるとだんだん体が変わってきてるのが分かる。

自分は胃腸だけは丈夫だと思ってたのに、少し食べ過ぎると胃痛が三日も続いたり、私の健康のバロメーターであるアルコールが飲めなくなったりすることが増えてきた。

これからは自分の体もちゃんと労わってやらないといけないなぁと実感してる今日この頃なのである。

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引越し

昨日、母から突然「引越ししたい」と言われた。

あの事件があってからいつかはそういう話が出るんじゃないかとは思ってた。

あれからやっと落ち着いてきたように見えてたけどやっぱり心の中ではモヤモヤしたものが燻り続けてたんだと思う。

近所で数人が集まって談笑なんかしてる所を見ると、どうしても自分の病気のことを面白可笑しく喋ってるような気がすると。

このままあの場所でずっとストレスを抱えたまま過ごすよりは母の体が動くうちに、誰も母のことを知らない人ばかりの所で静かに暮らすのもいいかもしれない。

本当なら私達と一緒に住むのが一番いいんだけど、ココでは狭すぎる。
そして母の通う病院から遠くなってしまう。
もう少し広い家を借りて一緒に住むというのも、事情があってどうしても今は私達はココを出る事ができない。

今、母が住んでるところは私が生まれる前からいた家。
(老朽化で一度は建て直されたが)

人生の三分の二を過ごしてきた場所に見切りをつけて、新しい家で再出発しようとしてる母。

どうかどうかこれから母に関するすべてのことがいい方向に向かいますように・・・

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腫瘍マーカーが上がりはじめた・・・


[大腸ガン] ブログ村キーワード

11/5、抗癌剤治療15回目。

白血球3800、何とか3000台キープ。

しかし腫瘍マーカーCA19-9が58.5、CEAが43.4と上がってきてる・・・

相変わらず足のピリピリも取れず、先生も「しつこいなぁ~」だって。

点滴、効かなくなってきてるのかなぁ・・・

母は変わらず食欲もあるし穏やかな毎日を過ごしてる。

いつまでもこんな日が続けばいいのに

次は通常なら19日に点滴なのに、何故か三週間後の26日。

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